創立50周年のお祝いに寄せて

美郷町教育委員会教育長 栗林

 六郷登山協会が創立50周年を迎えられますことについて、心よりお喜び申し上げます。誠におめでとうございます。皆様が集い、長きにわたって活動を継続されてきたことには大きな意義があるものだと思います。また、美郷山岳会並びに六郷登山協会の皆様には、学校教育や社会教育等全般にわたって常日頃御協力いただいていることにつきまして、心より感謝申し上げます。どうか、今後とも子どもたちの健やかな成長のためや、町民の皆さんの充実した暮らしに役立つために、御尽力賜りますことをお願い申し上げます。

 ところで、自分自身の登山経験を振り返ってみると、数えるくらいしかないことに気がつきました。確か小学生や中学生時代には黒森山、高校生の時には御嶽山に全校登山で登ったくらいで、山とはあまり縁がなかった気がします。そんな私にとって登山に関することで、今でも忘れられない出来事があります。

 それは、大学生になって初めて登った富士山のことです。いきなりの日本最高峰です。そのきっかけというのは、七夕の日に友人何名かとともに、車で夜中に富士山5合目にドライブへ出かけたことだったと思います。下界はすでに、Tシャツ・短パン姿でも暑くてたまらない気温でしたが、そのままの格好で5合目駐車場へ行くと、なんと凍えるほど寒くて風邪を引きそうな状況でした。車の外に出て空一面の星を眺めたり、遠く輝く町の明かりに目を向けたりして感動に浸る時間もそこそこに、車の暖房スイッチを最強に入れてそそくさと帰ってきました。そのとき、学生特有のノリで「これは絶対富士山に登らなきゃならん!」という流れになったように思います。当時、富士登山は一般的で身近なものだという認識でしたから、学生である我々は気楽に考えており、服装は体育時の運動着にヤッケ、帽子に軍手、懐中電灯、靴はスニーカー、リュックサックにはおにぎりとお菓子、水筒などの軽装備でした。知らないというのは恐ろしいことで、今思うとかなり無謀な準備だったと思います。5合目の登山口ではすでに沢山の登山客の姿が見え、結構なお年の方々もたくさん見受けられました。大勢が列をなして登っていくのですが、ゆっくりしか足を運べない我々をよそに、その人生ベテランの方々がどんどん追い越していくのです。装備や体力の準備不足を、だんだん自覚するようになっていました。本来は山頂で御来光を拝む予定が8合目あたりで拝むことになるなど、はあはあと苦しい思いをしながらもなんとか山頂にたどり着き、再び5合目に戻ったときには、くたくたよれよれでした。そのときに足下を見たら、スニーカーやトレパンの裾のあちこちに穴が開き、ぼろぼろになっていました。苦い登山デビューでした。