初めての北アルプス(槍ヶ岳、大キレットの山旅)

藤井 樹生

 2015年9月、六郷登山協会に入会した。それまでも一人で駒ヶ岳など行きやすい山にちょくちょく登ってはいたが、一人では限界があると感じての入会だった。9月、岩手山山行が会登山デビューだった。都合があって宿泊なしの日帰りであったのでその後の面白いエピソードは後で聞いて笑った。

 2016年、有志による北アルプス山行に誘ってもらった。行き先は槍ヶ岳から大キレットを渡り、北穂高、奥穂高への縦走。ちなみに私は北アルプス初心者であった。メンバーは小川さん、黒沢さん、石井さん、小田島さん、樋場さんと私の6人だった。何にしても初めてのことで、上高地をはじめ北アルプスという土地、食事付き布団ありの営業山小屋も初めて。すべて他からの情報を集めての準備であり、不安の方が多かった。

 8月16日、侃諤舎に前泊して早朝六郷を出発。7時間ほどで松本入り。沢渡駐車場からバスで上高地に入った。駐車されている半端なく車の多さに圧倒された。上高地から入山している人の多さを実感。釜トンネルを抜けて初の上高地入りを果たした。すべてが新鮮だった。初日は徳沢園に宿泊。山小屋というよりも洋風のしゃれたペンション風の宿舎で快適だった。

 2日目、横尾、槍沢を経て槍ヶ岳に向かった。徐々に山道風の細い道になり傾斜も急になっていった。途中、雨が強くなりカッパ着用。槍ヶ岳山荘下の急登で息が上がってしまい、後で聴いたら高山病の症状かもしれないとのことだった。槍の穂先は雨に煙ってほとんど見えなかった。とりあえず山荘到着を祝い、互いに握手。山行クルー同士の握手は初めてで非常に感激した。

 夕食を食べて外を見ると,槍の穂がはっきり現れた。樋場さんと二人山頂を目指す。登りは想像していたよりも手がかりもしっかりしており、恐怖感はほとんどなかった。何連かのハシゴも安心感のあるがっしりした作りでむしろ緊張感を楽しめた。最後のハシゴを登り終わるとすぐ山頂。思った以上に狭い山頂だった。祠に手を合わせ、樋場さんと一緒に写真を撮った。またいつ来れるかわからない。

 翌日早朝、ガスはほとんど無かった。黒沢さんと樋場さんはまだ暗いうちに槍ヶ岳登頂にチャレンジ。真っ黒な槍穂のシルエットの中にヘッドライトが蛍の火のように明滅してきれいだった。夜明けの前に小屋を出発。刻々と変わる山の彩りに見とれつつ、大キレットめざし歩を進める。何度も後ろを振り返り、槍の穂の後ろから昇る朝日の美しさに見とれていた。途中、中岳のあたりでブロッケン現象が起こりみんな自分の影を映して遊んでいた。南岳小屋で休憩。みんなでカップ麺を食べた。自分はうどん、小川さんはやはりそばだった。

 さあいよいよ大キレット!南岳から二人一組になりバディを組んで歩いた。私の相手は小川さん。渡されたロープをハーネスにしっかり装着して歩いた。途中、長谷川ピークや飛騨泣きなどものすごい斜面を越えるときもロープでつながっているという安心感があり恐怖感はほとんど無かった。その日の天候は深いガスのために見通しが悪く、登山道の真下に切り立った両側の断崖はよく見えなかった。おかげで高度感に怯えることなく、とにかく夢中で歩いて歩いて北穂高小屋の真下に到着した。全員が北穂高小屋に到着して飲んだビールのうまかったこと!!一生忘れられない2杯のジョッキビールの味。北穂高小屋は切り立った崖の上の本当にギリギリの面積に建っており鉄骨の柱は急斜面に突き刺さっていた。そこから振り返って見る大キレットの峰峰とその先に見える槍ヶ岳の雄志が今も目に焼き付いている。

 翌日は北穂高岳山頂を過ぎ涸沢岳を通って奥穂高だけを目指した。途中、黒沢さんがあわや滑落かというアクシデントがあった。幸い足を滑らせて数メートルのところで止まり、大惨事には至らなかった。それでもかなりの擦傷があり岩にぶつけたヘルメットは陥没していた。この北穂高から穂高岳山荘までの道は早朝の筋肉の張りがあったこともあり、結構危ないところが多かった。大キレットで緊張していたときよりも怖さを感じる下り斜面であった。

 奥穂高小屋で休憩して話し合い、予定していた奥穂高登頂を断念して、一気に涸沢に下り上高地まで歩いて戻ることにした。それでも楽な道のりではなかった。ザイテングラートという急斜面をすべるようにおりて、涸沢ヒュッテではラーメンを食べた。そのあたりから雨になり、上高地につく頃は本降りになった。この日の行程ではしばらくの間私の一日の歩数の最高記録となった。(それを超えたのは数年後の黒部原流域縦走の記録)西糸屋山荘ホテルに宿泊し、満足感に浸りながらビールだけでなく日本酒も思いっきり飲んだ。