ランタンヒマラヤ、ヤラ・ピークの記憶
尾張 泰章
協会25周年記念事業として、三度目の海外遠征登山が組まれ(98年4月)
ネパールのランタンヒマラヤ山群、ヤラ・ピーク登頂に参加した。
出発前の最終ミーティングの日は小松さん宅に泊めていただいた。
翌朝早く、横手への帰り途
六郷警察署を左に折れて金沢までの国道左側
黒森・真昼・御嶽の山々が遙かにそびえ立ち
ヒマラヤヒダを纏って真っ白に光り輝いていた !!!
、、っていう夢を見たのだ。
自分でも驚いて目が覚め
「そっか、気持ちはもうとっくに彼方に行っちゃってるんだな、、」
としみじみ痛感したものだ。
ランタン紀行
氷河に侵食された「世界で最も美しい」U字谷。
じつは好きな映画があって、邦題「グリーン・デスティニー」。
その劇中ほんの1シーン、ランタン谷に酷似したロケ地が映る。
そのシーンを観る都度に想い出され、記憶に重ねては目が潤む。
景観はほんとうに美しく、とても快適なトレッキングだったことを思い出す。
そしてヤラ・ピーク登頂
アタックの前日に激しく体調を崩した。
ベースキャンプに到着した途端
視界から色が消え、目眩で立てなくなった。
「それ、高山症状だろ」って皆が言うので、そうだったんだろう。
なんとか頭を下にして横になり、非常食を2個とった。
そのまま夕食まで横になっていたので偵察山行には行かず。
だいぶ楽になったが食事は受け付けず、ミルクだけ飲んで寝た。
ただただ不安だった。
翌朝、と言っても夜中の2時
何事もなかったかのように目が覚め、起き上がることができた。
靴を履き、装備を固めて出発することができたのだ。
歩きだしてからしばらくの記憶がほとんどない。
とにかく呼吸を深く、つとめて酸素を取り込もうと意識し
ザックに残っている非常食が心の頼りだった。
、、ゆっくりと、ほんとうにゆっくりと、、
皆のペースに合わせて歩を進めているうちに
なんとか頂上に着いたというのが本当のところだ。
空の紺碧はほかに例えようもなく
その対称は白銀に光る圧倒的な高峰群。
文字どうり「ここに来なければ観ることのできない」ものであった。
この体験は大きい!
そしてメンバー全員が登頂をはたし
サーダーやシェルパたちとで歓喜したのだった !!!
協会50周年記念に寄せて、この文を綴りながら
久しぶりに25年も前の事を思い出して振り返る機を得た。
もう多くの事を忘れていて断片でしかないが
とても幸せなひと時だったことを感謝したい。
そして、もう一つふれておきたいことがある。
登山協会の礎を築き、今日までの発展に尽力されつつ
先に逝かれた大先輩の方々。
ありがとうございました。
心からありがとうございました。
楽しかったですね、後藤さん。
一緒にあそこに立ちましたね、後藤さん。
それだけは忘れませんよ。