死ぬかと思った話

畠山

 山を50年以上も続けていれば、一度や二度「死ぬかと思う」瞬間があると思う。山での失敗は恥ずかしいことではあるけれど、私にも何度かあるので書いてみよう。


 ビビった話

 最初は昭和45年の秋である。10月も半ばを過ぎた頃で、陽が短い時期だった。東京からは入山しやすい丹沢の沢登りに行った。22歳の3年生がリーダーの、あまり慣れていない5人パーティーだった。いくつかの滝を登り、特別な苦労もなく終了点に着いた。時刻は覚えていない。下降は尾根の向こう側への簡単な沢である。しかし慣れない5人は思いがけず手間どり、本流に降りた頃にはそろそろヘッドランプが必要な状況だった。玄倉川本流は水量こそ多いが川幅が広くわりと歩きやすい。つるべ落としの秋の陽はあっという間に尾根の向こうに隠れ、私たちは明かりをつけて下っていく。突然大きな音が響いてきた。滝である。ドキドキした。山を初めてまだ半年余り、怖かった。どうするんだろう。リーダーがランプを照らして下を見る。「大丈夫!降りれる」。初めての本番懸垂下降が暗闇での滝下り。ヤバイと思った。もしかしたら死ぬかもしれないと思った。次の日明るいところで見たら10Mも無かった、たいしたことは無かったのだ。あー良かった。


 運がよかった話

 1974年6月1日。私は前穂高北尾根の4・5のコルにいた。穂高の6月初めは残雪が締まり、移動が楽だ。大学ではザイルパートナーがいなかったので、岩登りは単独だった。この時もピークハントの仲間と別れて、前日前穂右岩稜を登り、北壁を下り、4峰北条新村に取り付いて、核心部を終わったところで、先行パーティーに追いついて岩棚でツエルトを被った。徳沢園の灯りが見えていた。寒かったがアルピニスト気分だった。翌朝、最後のピッチを登って4峰に立った。晴天だったが早く涸沢に下山して、シュラフに入りたかった。「4・5のコルからグリセードすれば早いなあ」ふと思った。大体どこでも行ける自信があったので、怖いとは思わなかった。いざ滑り出してみると日陰側は凍結しており、途中の岩に乗り上げた時点で転んだ。後は氷の滑り台をリュージュ状態。頭が上になったり下になったり。ジャンプしては雪面に打ち付けられ、恐怖だった。死ぬかと思う暇も無く気絶した。・・・・雪の斜面を落ちている。ピッケルを引き寄せてどうにか止まった。400Mの滑落、生きていた。「岩が出ていればだめだったかもしれない 運が良かったね」小屋のご主人に言われた。右膝捻挫と僅かな切り傷ですんだ。全身打撲、翌日に仲間が苦労して下ろしてくれた。


 濡れ鼠になった話

 お盆休みだったか、小松、尾張、畠山で堀内沢マンダノ沢に出かけた。1日目予定通り蛇体淵までは快晴で快適だ。川原にテントを張ってよく寝た。朝飯のタイミングで雨が落ちてきた。暑くて好天続きだったから天気予報は気にしなっかた。食事が終わってテントから出たときには、昨日のチャラ瀬が川幅いっぱいに濁流となっていた。この間30分。岩山の出水は早い。偵察済だったからどうにか尾根に取り付いたが、危なかった。この日六郷では結構な「水つき」があったらしい。雨の中びっちり1日藪を漕いで安全地帯まで降りた。朝 見慣れたヘルメットふたつ。小川、黒澤が捜索に来てくれた。仲間は有難い。いい人だ!