「日本百名山完登」雑感

齊藤 典夫

 登山は、小中時代の「学校登山」で体験、社会人になってからも、真昼山や駒ヶ岳に登り、好きなスポーツとして続けていたものの、趣味といえるほどではなかった。

 転機は、平成4年44才の時、千畑登山会発足メンバーになり、会員の中で、百名山にトライしている人を知り、また、霊峰3山(富士山、立山、白山)参りを目標とする先輩達(ほらふき登山)に刺激を受け、百名山を意識するきっかけとなった。無論、完登など遠い夢物語。仕事の合間に、北は利尻島、南は屋久島まで遠征することになるのだから…。

 意識が目標に変わり、生きがいとなって72才。令和2年10月ようやく「百名山完登」を達成することができた。

 28年の思い出の中から、印象に残る「山行メモ」を載せてみました。


〇 初めての遠征は平成7年の北アルプス。剣御前小屋に前後泊、剱岳の見事な岩峰に感動、立山では山頂神社でお祓いを受け、帰路途中、鼠ヶ関港に野宿したことなど、鮮明に覚えている。


〇 一日の行動時間が最も長かったのが、平成10年槍ヶ岳からの下山。山頂から東鎌尾根経由で順調に下りたが、上高地が人、車の波、予約タクシーも動かず、歩いて沢渡の宿に着いたのが夜の8時過ぎ。次の日から足が棒のようだった。


〇 平成21年61才の時、六郷登山協会に加入させていただき、利尻山、白馬岳、苗場山と続けて参加、大人数でのバンガロー泊など山行の楽しみが増えた。平成26年トムラウシ山で、泣きうさぎの声を聞き、富良野から上ホロカメトック山経由で十勝岳に登頂した。「幸せの黄色いハンカチ」も思い出の1ページです。


〇 登山の醍醐味ロングトレイル2選。

 一つは平成23年折立を起点に、薬師岳、太郎平、黒部五郎岳、三俣山荘、鷲羽、水晶を経て雲の平から高天ヶ原の温泉を回った黒部源流域一周ルート。高橋正二先輩と楽しい二人旅であった。

 二つ目は、平成24年の南アルプス。一人旅で850キロの畑薙第一ダムへ走り、専用バスで椹島へ。千枚小屋、百間洞山ノ家、茶臼小屋に泊まり3千m3山(悪沢、赤石、聖)と光を縦走した。千枚岳から望む雲海と富士山は言葉にできないほど美しかった。


〇 紅葉ナンバーワンは涸沢カール。平成25年10月、持参テントで2泊。見事な紅葉とモルゲンロートを体験し、北穂高岳から涸沢槍、奥穂高岳への岩稜ルートも縦走できた。 


〇 平成26年、御嶽山の噴火は悪夢のような出来事。前年の8月に、テレビで連日映し出された頂上の神社にお参りした。あの場所で…。空爆のような噴石から逃げ惑う登山者の姿と重なり、信じたくないショッキングな数日を過ごした。これまで大部分の登山者は、有害ガスなどの規制には注意するものの「入山禁止」でなければ、安全という認識で登っていたのではないか?


〇 登山道には多様の鎖場がありますが、四国、石槌山は別格、一の鎖から三の鎖と続く修行道、大きくて立派な鎖でした。


〇 平成30年で96座。令和元年はコロナの蔓延でストップ。翌年、残り4山に向かう。97巻機山、越後湯沢「駒子の湯」で疲れを癒し、98両神山は白井差新道、バッチ付き千円だった。99雲取山はパワースポットで名高い三峰神社から入山、雲取山荘に素泊まり、ふとん毎シートが下げられ、まさにソーシャルデスタンス。ラストの丹沢山は、大倉尾根の長い登りと、蛭ヶ岳への登り返しがつらかったが、富士と湘南の海岸線を左右に見る稜線歩き。きれいな夜景。10月5日「百名山完登」記念の山になりました。


〇 偶然にも50が会やグループでの山行、50は単独山行であった。愛車をベースキャンプに、南は阿蘇、祖母山、北は幌尻などに走りましたが、道中での事故やパンクもなく、無事であったことに感謝、感謝です。


 今年、めでたい喜寿を迎え、六郷登山協会50周年に参加できる幸せを感じています。

 今後は、足の衰えに合わせ、ゆっくり続けていきたい。「湯治登山」最高です!!